日本を14年ぶりの世界一に導いたWBC栗山英樹監督!経歴を調査!

日本を14年ぶりの世界一に導いたWBC栗山英樹監督!経歴を調査! 芸能人

日本代表が14年振りの世界一に輝き、幕を閉じた2023年のWBC。侍ジャパンを率いたのは、栗山英樹監督でした!

今回は栗山英樹さんの経歴を紹介しますよ!

栗山英樹のプロフィール

  • 名前:栗山英樹(くりやまひでき)
  • 生年月日:1961年4月26日
  • 年齢:62歳(2023年8月現在)
  • 出身地:東京都小平市
  • 出身校:東京学芸大学

野球が好きな兄に誘われ、小学校時代に軟式野球を始めた栗山英樹さん。中学時代はバレーボール部だったそうですが、中学三年の時には地元の野球チームに所属し、投手として日米大会にも出場しましたよ。

高校は熱心なスカウトを受けたことから創価高校に入学、高校卒業後は教員を目指して東京学芸大学教育学部に入学し、大学野球では投手としても、野手としても好成績を記録していましたが、大学在学中に右肘を故障、野手に転向しました。

栗山英樹の経歴

ドラフト外でプロ入り

教員を目指していた栗山英樹さんは、大学在学中に小・中・高の教員免許を取得しています。しかし大学野球での成績が良かったこともあり、野球選手への夢が再燃。教師になれる目前で進路をプロ一本に絞り、両親の大反対に遭いながらもヤクルトスワローズへドラフト外入団することとなりました。

ドラフト外入団は1990年に廃止された制度。栗山英樹さんはプロテストなどで実力を示し、プロ入りの夢を叶えました。

選手として7年間プレー

23歳になるシーズンで迎えたプロ一年目、栗山英樹さんは一軍デビューを果たしたもののプロのレベルの高さに挫折気味に。更に翌年には三半規管の難病、メニエール病に苦しむことに。それでも、1986年には若松勉さんの勧めで始めたスイッチヒッターへの転向が功を奏し、1番ライトでレギュラー定着、197試合で打率3割を記録しました。その後もメニエール病や怪我に苦しみ続けた栗山英樹さん、1990年に現役を退きました。プロ7年間で494試合に出場、336本のヒットを放ちましたよ。

引退後、大学教授に

引退後は主に野球解説者やスポーツキャスター、野球評論家などを務め、母校などの大学の講師として少年野球普及育成に努めました。北海道の栗山町から観光大使を依頼されたことがきっかけで、2002年には野球場、練習場を兼ね備えた施設「栗の樹ファーム」を、私財を投じて完成させていますよ。

一方で2004年からは白鴎大学助教授に、その後准教授や教授にも昇進しました。経営学部教授としてスポーツメディア論や野球型などを専門分野としていましたよ。

2012年より北海道日本ハムファイターズの監督に就任

2011年11月3日に、北海道日本ハムファイターズの監督就任が決定。「球団方針を理解してくれる」「選手を育てながら強化してくれる」という球団オーナーの要請を汲み、またコメンテーター時代の幅広い知識や人脈を買われ、監督経験がなかった栗山英樹さんが監督を務めることとなりました。就任初年度からチームを優勝に導き、2016年には日本一を達成。監督晩年は苦しい戦いを強いられましたが、2012年から2021年という近年では珍しい10年の長期政権の中で、公式戦684勝672敗、Aクラス5回という成績を残しました。

野球日本代表監督に就任

ファイターズの監督を退いた2021年オフ、野球日本代表、侍ジャパンのトップチーム監督に就任することに。監督としての大仕事は2023年のWBC、栗山英樹さんはかつての教え子である大谷翔平選手やファイターズの英雄、ダルビッシュ有選手、侍ジャパン初の日系人であるラーズ・ヌートバー選手らを召集し、最強のチーム作りに邁進。本戦でも予選から一敗もせず、侍ジャパンにとって悲願であった14年振りの王座奪還を果たしました。

栗山英樹 結婚は?

御年62歳の栗山英樹さん。若い頃はイケメンでかなりモテていたという情報もありますが、実は今に至るまで独身なんですって。なぜ栗山監督 独身なのか。調べたところ、過去に結婚間近までいった女性と破局したという情報がありました。その時の傷が後を引きずったのか、それともシンプルに婚期を逃したのか。野球愛が深すぎて恋は二の次の人生だったのでは、とも言われていますよ。

まとめ

今回は栗山英樹さんの経歴について紹介しました。

いつもチームの勝敗の責任を一身に背負い、深い愛で選手達を信頼し、選手たちに慕われてきた栗山英樹さん。WBCの優勝を機に、監督業からは退かれていますが、再び監督業に戻られる日が来ないかと期待してしまいますよね。栗山英樹さんの今後の動向に要注目です!

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